老舗店が語る新町の魅力

新町に住むという“誇り”人も街も魅力です。

象嵌師(ぞうがんし) 四代目 光助 大住裕司さん

「肥後象嵌」とは?

約四百年の伝統を誇る、熊本の伝統的工芸品。肥後藩主・加藤清正から細川家の代にかけて鉄砲鍛冶として仕えた林又七が、銃身に象嵌を施したのがはじまりといわれます。特に細川忠興(三斎)は名匠たちを召し抱え、刀剣金具の製作にあたらせ技量の奨励をはかったため、鐔や刀装金具類の名作が誕生しました。

『肥後象嵌 光助(ひごぞうがん みつすけ)』について教えてください。

明治7年(1874年)に創業し、熊本の代表的伝統工芸品である『肥後象嵌』を代々作り続けています。『肥後象嵌』は地鉄にタガネで細かく布目状の溝を刻み、そこに型抜きした純金や金線を打ち込んで細工する象嵌技法。江戸時代は刀の鐔や小柄に施され、武士にとってダンディズムの象徴といえるものでした。地鉄の美しい黒を生み出すため用いられるサビだし液は、かつて一家相伝の製法とされたほど。ひとつ完成するまで2、3週間ほどかかり、一生モノと呼べる精緻な逸品へと仕上げていきます。

父から光助の名を継承してからは、この技法を途絶えさせないよう、万年筆や自動車など様々なメーカーとタイアップした作品を発表してきました。近年では美人画で有名な熊本出身の作家・鶴田一郎さんとコラボしたペンダントや、神戸のデザイナーとコラボした時計の文字盤に象嵌を施すなど、工芸品の枠を超えてチャレンジしています。

ご自身の故郷でもある、新町の魅力とは?

熊本城の正面に位置する新町界隈は、かつて城門に囲まれた城内町でした。短冊形の町割りに武家屋敷と町人町が混在した全国的にも珍しい町でしたが、明治十年に起こった西南戦争で、この一帯は焼け野原に。そのとき熊本城と場外を隔てる門がなくなり、この新町に移り住んだ人たちも多いようで、当店もその頃に坪井(熊本城の北東方面の地域)から移転してきました。

熊本城も繁華街も散歩がてら行ける距離にありますし、昔から住んでいる人が多いので地域に一体感があります。築城とともに誕生したとされる新町獅子舞や地域の祭りなどもあり、新たにこの町の住人となった方々に参加していただけるのは嬉しいことです。隣の桜町も熊本市の新しいランドマークとして着々と開発が進んでいますから、新町は一層、評価が高まっていくでしょう。

私が気に入っている新町周辺のオススメスポットを紹介します。

河上彦斎生誕(かわかみげんさい)の地碑

▲映画の反響で県外のファンも訪れます

マンガ『るろうに剣心』の主人公のモチーフになったことで注目を集める河上彦斎生誕の地。一新小学校沿いの通学路に記念碑が残る。

明八橋(めいはちばし)

▲この辺りに城門があったそうです

通潤橋をはじめ皇居の旧二重橋や日本橋を築いた名工・橋本勘五郎が架けた明八橋。長さ21.4mある石造りの眼鏡橋で、明治8(1875)年に完成。

大クスノキ群

▲あの藤崎宮例大祭も、ここが発祥

藤崎宮跡に残る大クスノキ群。7本ともに樹齢千年を超える巨樹群で、最大株は幹回り20mもある国指定の天然記念物。

肥後象嵌の真髄を継ぐ 肥後象嵌 光助

熊本市中央区新町3丁目2-1 TEL:096(324)4488